interview 03

富岡町で縁を繋いでいく新婚夫婦の物語

猪狩考平・可奈子
富岡町で出会い、結婚した新婚夫婦

ふたりが出会い、暮らしを共にするうちに、他人から家族になっていく「夫婦」。きっとそれぞれの物語があるのだろうと想像すると、とても不思議な気持ちになる。どうやって出会い、どんな日々を一緒に送り、どんな会話をしているんだろう。知りたい。聞いてみたい。

2023年、富岡町出身の素敵な同級生夫婦が誕生した。猪狩考平さんと可奈子さん。おふたりは同じ幼稚園に通い、小中学校は別々になったものの、高校で再会。卒業後はまた離れ離れになるも、大人になってから再び出会い、2023年にスピード結婚するという強い縁で結ばれている。

今回は、猪狩考平さん・可奈子さん夫婦の物語をお届けする。雑談に近いインタビューだが、束の間、読んでいただけたら嬉しい。

お互い全く意識していなかった学生時代

―おふたりは高校の同級生なんですよね?

考平さん:いや、実は同じ幼稚園に通っていたんです

可奈子さん:そうなんですよ。富岡幼稚園っていうところなんですけど

―え!そうだったんですね。じゃあ、本当に小さい頃からお互いを知っていたんですね。当時のこと、覚えていますか?

考平さん:可奈子はそのときから運動神経抜群で。元気な女の子がいるなと思ってました。小・中学校は別々だったんですけど、定期戦で顔を見る機会はありましたね。足が早くて、すごいなと思いながら見てたのを覚えています。

可奈子さん:考平くんは子どもの頃おとなしかったよね。お互い存在は知ってたけど、そんなにしゃべったことなかったかも。同じ幼稚園だけど、クラスは別だったよね。

―でも、覚えてはいたんですね。

可奈子さん:お互い小さい頃から体が大きかったからね(笑)。

―定期戦は私も覚えてます! 一中・二中ですごくライバル意識がありましたよね。男子何人かが、休み明けに傷だらけになってて。聞いたら一中の奴らと喧嘩してきたって(笑)。そんなことがしょっちゅうあった思い出が。

可奈子さん:バリバリな時代ですよね。漫画の『クローズ』みたいな世界(笑)。

―おふたりは高校で再会するんですよね?

考平さん:同じ高校に通ってはいたんですけど、一言もしゃべったことなかったです。俺はずっと野球ばっかりやってたし、通学の電車も違う時間帯だったし。

可奈子さん:クラスも別だったしね。考平くんいるな、とは思ってたけど、しゃべりはしなかった。

考平さん:野球部の朝練のために、俺は始発か7時ちょい過ぎの電車で通ってたので。可奈はたぶんもっと遅いやつだよね。

可奈子さん:私はのんきに遅刻ギリギリの電車で通ってました(笑)。最初はバスケ部に入ったんですけど、1年生の2学期に体を壊してからは帰宅部だったので。のんきに友達と過ごしてましたね~。かたや考平くんは部活バリバリ頑張ってたから、本当に接点がなかった。

―グループでどこか一緒に遊びに行くなんてこともなく?

可奈子さん:何もなく。

考平さん:ないですね。思いかえしてみても、本当に一言もしゃべってないわ。

―それがどうなって結婚まで………。高校を卒業してからはどうしてたんですか?

考平さん:僕は県内の大学に進学しました。大学卒業後は鹿島建設の下請け会社に就職して、今は隣の大熊町で働いています。

可奈子さん:私も進学はしたけど、挫折して富岡に帰ってきちゃってた(笑)。戻ってきて、フリーターやってましたね。ちゃんと働かなきゃと思って、20歳くらいのときに今の会社に就職しました。

震災後に再会

―大学も就職先も別々で、いつ再会したんですか?

考平さん:震災後ですね。富岡の友達といわきで遊ぼうって話になって。そのときのメンバーの中に可奈子もいた。本当に久しぶりに会って「可奈子ちゃんですか?」みたいな。

可奈子さん:「考平くんか! 高校一緒だったよね!」って。27歳ぐらいだったかな。だから、高校卒業して10年近くは会ってなかった。

―ちなみに、震災当時おふたりはどちらにいらっしゃったんですか?

考平さん:俺は浪江町にいました。大学卒業の年に震災があって。前日、高校時代の野球部の同級生と家で飲んでて「明日高校行ってみようぜ!」ってなって。その後に、浪江町のサンプラザをぶらっとしてたときに地震がきました。急いで富岡に戻ったんですけど、もう津波が来ちゃってた。少し離れた坂から見たら、うちの実家の窓だけがポツンと見えたんです。「なんだこれ」ってゾッとしました。

当時、一番下の弟がまだ小学3年生で。小学校は海から近いから、弟のことがまず心配でした。総合体育館にみんなで避難してるって聞いて、迎えに行って。そこで家族みんなで集まったら、じいちゃんがいないって。

―確か、鮭のやな場を見に行ってたんですよね。

考平さん:そうです。稚魚の放流間近だったので、津波で酸素を送る機械がやられてたら大変だって、発電機を持ってやな場で作業してたみたいなんです。そのときにたぶん津波に……。漁業組合の仕事って、町からの補助もありましたけど、結構自分たちで出してる部分も多くて。それでも富岡のためにって頑張ってたじいちゃんを誇りに思います。今、やっとじいちゃんの意志を継げる環境になってきました。可奈子も理解して協力してくれるので、背中を押されたみたいな感じですかね。

―可奈子さんは、当時はどちらに?

可奈子さん:ちょうどその日は、富岡の文化交流センターで職場の催しがあって、お手伝いに行っていました。福島第二原発で働いていたので、地震後はすぐに職場に戻りました。福島第二にも津波が来て、しばらくみんなでバタバタと対応していました。それが終わって、帰宅しようと思っても、道路がガッタガタになってて。歩いて帰りました。歩きながら周りを見ると、津波で流されて何にも無くなっちゃってた。

電気も水道も全部止まって、何にも情報がなくて。そしたら警報が鳴って、避難してくださいって。それでも、いまいち危機感がわかなくて、うちのお父さんは石垣を直したりしてて。そんなことしてるうちに防護服着た人に「急いで避難してください!」って言われて、みんなでお隣の川内村まで避難しました。その後も転々としながら、最終的に茨城県まで。そこから一ヶ月もしない頃に、会社の事務所まで来て欲しいと言われて、いわきまで戻って泊まり込みで仕事してました。

―富岡は全町避難になったから、いわきでおふたりは再会したということですか?

考平さん:そうです、ふたりともその頃はいわきで暮らしてました。富岡の友達と集まれる機会があるのが嬉しかったですね。

40歳になってもお互い独身だったら、結婚しよう

―再会したときのお互いの印象は?

考平さん:可奈は「考平でっかいな」でしょ?(笑)。

可奈子さん:うん、「でっかいな」(笑)。

考平さん:俺は「綺麗になったな」と思いました。それから、「こんなにしゃべる子だったんだ。ノリいいな」って。

―そのときに、お互い良いなって?

考平さん:いや、そのときは全然そんな気持ちはなかったかな。同級生として遊んでるって感じで。何度か遊んでるうちに、「お互い40歳になっても独身だったら、結婚するか」って冗談で言い合ったりして。

―え!何それ少女漫画みたい!

可奈子さん:共通の女友達がいて、その子に考平くんの高校の同級生を紹介したじゃん?

考平さん:そうそう、俺と可奈子でその子のキューピッドになったんですよ。そしたら、そのまま結婚までして。

可奈子さん:その友達夫婦と一緒に遊んでるうちに、結婚いいなって思うようになって。私たちも40歳になってもお互い独身だったら結婚する?って話に。

考平さん:そのときはまだ、結婚願望は全然なかったんですけど。

可奈子さん:私もなかったなぁ。

―40歳になる前に結婚したわけですけど、お互い結婚願望が全くない状態から「あれ?好きかも?」って気づいたタイミングはいつなんですか?

考平さん:一緒になりたいなと思ったのは、多分コロナ禍の前ぐらいだと思います。さっき話した夫婦と4人で一緒に遊んでたときから、奥さんにするなら絶対可奈子がいいなって思ってたんです。

―付き合うというより、先に結婚を意識してたんですね。「絶対可奈子さんがいい」と思った理由は?

考平さん:友達や家族、ペットをすごく大事にしているところが素敵だなと思いました。友達も本当にいい人ばっかで。周りの人に恵まれてるなって。

恋愛方面のニブさ際立つ可奈子さん

―コロナ禍の前に一緒に遊んでたというお話でしたが、コロナ禍のときはどうしてたんですか?

可奈子さん:全く会ってませんでした。連絡もなく。お互いの誕生日だけLINEでやり取りするぐらい。私も、あんまりマメな方じゃないので。

―でも、考平さんは結婚するなら可奈子さんがいいって思ってたんですよね?

考平さん:いいな、とはずっと思ってたんですけど、今すぐどうこうしたいとも思ってなかったので。共通の女友達から「可奈子、彼氏いるよ」って話も聞いてましたし。そうかそうか、彼氏いるのか。ふーん……。みたいな(笑)。

―考平さんが可奈子さんのことを「いいな」って思ってることには気づいてました?

可奈子さん:いや、本当に気づいてなかったですね。一緒に遊んでたときも、同級生のノリで「よっ! 元気?」みたいな感じだったから(笑)。

考平さん:でも、誕生日にはちょいちょい良いモノあげてましたからね。Switch欲しいって言われて、プレゼントしたこともあるし。今はそのSwitchでふたりで遊べてるのは嬉しいけど(笑)。

可奈子さん:コロナ禍の前に、みんなでゲームソフト買いに行ったもんね! 「マジで買ってくれんの!?」とか言って。

―そういうちょっと高いものを買ってくれるって「おや? もしや?」って思いませんでした?

考平さん:可奈は思ってなかったと思いますよ。

可奈子さん:今考えると私、ひどいね(笑)。

―男友達からのプレゼントが1万円超えてたりしたら、「あれ?」って思いません?(笑)

考平さん:普通は思うんだよ!(笑)

可奈子さん:よしっ! ラッキー! って感じでした(笑)。

―可奈子さんはニブくて気づかないし、そんな状態のままコロナ禍に突入しちゃって会えなくなって……。そこからふたりの距離が縮まったのは、何かきっかけがあるんですか?

考平さん:きっかけは確かにありましたね。俺が所属してる草野球部に、可奈の会社の後輩がいたんです。遠征に行ったときに、可奈子のこと知ってる?って聞いたら「知ってます! お世話になってます」って言うから、じゃあ今から可奈子に電話すっぺ! って、2年ぶりくらいに電話で話して。「どうなの最近?  彼氏とうまくいってる?」って聞いたら、彼氏いないって言うから。

―探りを入れてる!(笑)

考平さん:そうそう(笑)。それで、じゃあまたよく遊んでた4人で集まろっかって話になって。

可奈子さん:コロナも落ち着いてきたし、またみんなで遊ぼうよって。4人で遊ぶ約束をしたんですけど、友人夫婦が来れなくなっちゃって。じゃあ、ふたりで遊ぶかと。初めてふたりだけで会いました。それが2022年の8月。大河ドラマの『新撰組!』を見てたら会津に行きたくなっちゃって。

考平さん:車の中でも会話が途切れなかったし、ふたりでいるのがめっちゃ楽しいなって思ったんですよね。

結婚するならこの人だなって

―可奈子さんも、そのときに意識し始めた?

可奈子さん:うん。この人、やっぱめちゃくちゃ優しい! と思って。同級生だから会話も弾むし。しばらく会ってなかった分、余計に。

考平さん:9月にまたふたりで白河の関まで御朱印を集めに行って。10月にいわきの『街中コンサート』でオレが和太鼓やるのを見にきてくれて。

可奈子さん:太鼓やってるのは知ってたんですけど、ちょろっとしか見たことなくて。ちゃんと見に行ったのはそれが初めてでした。

考平くんが所属している『小浜風童太鼓』の男性メンバーも、その奥さんも、みんな同級生なんですよ。だから家族同士のつながりがすごく強いんです。チームみんなでひとつの家族みたいな。結婚してないのは考平くんだけで、そこに私が見に行ったもんだから「あらやだ! 可奈ちゃん!?  え?  どうしたの?  あらあらあら~」みたいな(笑)。メンバーの子どもたちも「考平くんの彼女?」って(笑)。

考平さん:まだ付き合ってなかったけど、周りから固められたな(笑)。

可奈子さん:その後ディズニーランドに連れて行ってもらったんです。「10月22日、ディズニーランド行きたいから、予定空けてくれない?」って電話で言われて。そのときはさすがに「あれ?」って思いました。

―ふたりでディズニーって、もうそれしかないじゃないですか!

考平さん:ですよね、それしかないですよね(笑)。

可奈子さん:私も、そのときはさすがに「もしかして」って思いました。だから自分でも真剣にふたりの関係をどうしたいのかな?って考えて。きっとお付き合いすることになるんだよな、と。これでもし何もなかったとしたら、考平くんただのディズニー好きかよって(笑)。

考平さん:告白したら、「よろしくお願いします」って言ってくれました。

可奈子さん:考平くん、すごいドキドキしてたよね(笑)。

考平さん:ここでフラれたら、帰りの車の中どうしよう、みたいな(笑)。だいぶ引っ張ったよな。夜の7時ぐらいまで引っ張ってましたから(笑)。

可奈子さん:夜まで何も言ってこないんだもん。私の方から「何かないの?」って言った方がいいのかなって思ってた。ずっと友達感覚できちゃってたから、ちゃんと恋人として見れるのか?とか、私はすごく考えてディズニーに行ったから。告白されたら受けようって決めてたし。

考平さん:夜になって、シンデレラ城の前という、ベタベタなシチュエーションで……。

―シンデレラ城! それはプロポーズじゃないんですか!?

考平さん:そうなんですよ。もうシンデレラ城は告白で使っちゃった(笑)。

可奈子さん:付き合いだしてから結婚までは早かったですね。私も「結婚するならこの人だな」という感覚があったので。

考平さん:付き合ってすぐくらいから、もう結婚の準備を始めました。10月下旬に付き合いだして、翌年のお正月にはお互いの家族に報告もして。

―告白とは別に、ちゃんとプロポーズも?

考平さん:はい、夜の森の桜の下で。震災前に、じいちゃんが仕事で桜の木の整備をしていたんです。なので、その桜の木には特別な思いがあって。本当は桜まつりで太鼓を演奏した後にプロポーズしようと思ってたんですけど、桜まつりの一週間前に満開になっちゃって。焦りました(笑)。

「満開になったから、桜見に行こうぜ」って可奈を連れ出して、決めてた場所までなんとな~く誘導して。桜のトンネルのど真ん中とかだったらカッコよかったんですけど。ちょっと外れた路地のところで、「結婚してください」って指輪をパカッと。

可奈子さん:私はそのとき、何にも分かってなくて。ただ桜を見に行くだけだと思ってたので、つい出た言葉が「え!? ここで!?」(笑)。

考平さん:(笑)。1~2ヶ月前くらいに、指輪のサイズを測るリングのやつ(リングゲージ)買ったんですよ。「彼女の指輪のサイズくらい把握しときたいから、ちょっとやってみて」って。

可奈子さん:「うん、分かった~」って測ったけど、これはもしや……って。

考平さん:でも、当日つけてみたらちょっとブカブカだった(笑)。夜のむくんでるときに測っちゃって(笑)。ごめん、ごめん(笑)。

可奈子さん:ゆるいんですけど?って(笑)。堂々と測った割にはブカブカでした。

考平さん:あれ?痩せた!? って(笑)。それでも「よろしくお願いします」って言ってくれて。付き合って1年記念日の2023年10月22日に籍を入れました。プロポーズしてからは半年後ですね。

可奈子さん:お互いの家族にも、挨拶は済ませていたので「そうか、結婚するのか」ってあっさり。

考平さん:うちの両親はすごい喜んじゃって。本当の娘のように、和気あいあいと仲良くしてくれてます。

家族や知り合いが、富岡に戻ってくるときのために

可奈子さん:今は、私がいわき、考平くんは富岡で暮らしてるんですけど、結婚式が終わったらふたりで一緒に暮らす準備を始める予定です。

考平さん:可奈が富岡に住んでくれるということで。家を建てる計画を進めようと。

―そうなんですね! 私も富岡で暮らしてるから、めちゃくちゃ嬉しい!

考平さん:小浜地区に家を建てる予定です。可奈子も富岡出身だし、うちもお墓が富岡にあるので。両親は震災後は郡山市で暮らしているので、富岡にお墓参りに来たときに、休んでもらえるところが欲しいよなって可奈と話して。

可奈子さん:考平くんと一緒になってから「やっぱ富岡いいよな」って思うようになりました。ひとりでいわきで暮らしてた頃は、仕事で富岡には来ていたけど、住みたいとは思ってなかった。考平くんと結婚したことで「富岡に帰りたい」って思うようになったんです。太鼓もそうだけど、鮭のことも、おばあちゃんの介護のことも、考平くんは富岡とのつながりが強いから。

自分が育った町でもあるし、ふたりで一緒にこれからの富岡のことを考えていけたらいいなって話してます。

考平さん:家族や知り合いが富岡に行きたいって思ったときに、気軽に泊まってもらえるような家にしたいです。富岡に戻ってきてほしいという気持ちはありますけど、それぞれに事情があるから、なかなか戻ってこれないですよね。だから、週末遊びに来てくれるようなまちづくりをしたいんです。それで「やっぱり富岡いいところだな」って思ってくれて、その子どもたちがいずれ富岡で暮らしたいと思ってくれるようになったら。そうすれば、町の未来はもっと良くなると思います。

可奈子さん:今考えると、富岡での暮らしが楽しかったなと。コンビニがあってカラオケがあって、洋服を買えるお店もあったし。特別な何かがあったわけじゃないんですけど、人が集える場所があったんです。「ちょっと集まって、誰かんち行くべ」とか、そんな感じが戻ってきて欲しいなと思って。まずは、私たちの家に家族や友達が集えるようにしたいです。


「ふたりの結婚までの物語を聞きたい」という無茶なお願いに、終始笑顔でこたえてくれた考平さん・可奈子さん。新しく移住してきた人も、以前から富岡で暮らしている人も、今は別の場所で暮らしている人も、みんなを大切にしながら想いを共有していけるような家づくり、まちづくりがしたいと話してくれた。縁で結ばれたふたりは、これからも富岡町で更なる縁を繋いでいくのだろう。また、5年後、10年後に、夫婦ふたりで歩んできた道のりを聞きたいと思う。

文/遠藤真耶 写真/中島悠二
2024.03.03

猪狩考平・可奈子(いがり こうへい・かなこ)

1988年生まれの同級生夫婦。2023年10月に入籍。2024年3月に挙式。富岡町に家を建てて暮らす予定。夫の考平さんは「小浜風童太鼓」のメンバーとして活動。妻の可奈子さんは大の動物好きで、富岡町で動物の保護活動もしたいそう。

フォトグラファー:中島 悠二(なかじま ゆうじ)

1981年 神奈川県川崎市生まれ。2009年からフリーの写真家として活動。2021年8月、東京から福島県楢葉町(海のそば)へ移住。現在、東北沿岸から北海道道東まで、海沿いの風景を撮影中。www. sunagomikusa.com